イタリア楽描きessay

イタリア・シンプルライフ

Televisione e telefono fisso「テレビと固定電話」

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家族と暮らしていなければ

すぐに手放すのもがこの2つ。

 

居間にあるテレビは

ダンナの実家で使っていたものを

2年くらい前にもらってきた。

 

どこか不具合があって

実家では修理をあきらめて

処分する予定だったらしい。

 

ダンナは人脈をたどって

修理できる人を探し出した。

我が家で使い始めてから

ずっと問題なく動いている。

 

でも私はテレビを見ないので

2つあるリモコンを

どう操作するのか知らない。

 

つけっぱなしにしている画面を

消すスイッチしか触ったことがない。

 

大学生の頃

一人暮らししていたアパートにも

テレビはなかった。

 

あまり世間離れして欲しくない

そんな一心で

母が実家から小さなテレビを

電車で運んできた。

 

重かったわ、と

真っ赤になった手を私に見せた。

ありがとうと受け取ったけれど

すぐに隣の部屋の人に譲った。

 

「普通にあるもの」でも

自分に必要なければいらない。

 

台所には電子レンジも炊飯器もない。

温めるときは蒸すか焼く。

電気オーブンか鍋かフライパンで。

 

固定電話をまだ取っていないのは

ダンナの両親のためだけ

そういっても過言ではない。

 

お義母さんは携帯電話を持っているけど

外出するときにしか電源を入れない。

だから彼らの電話料金が

ぐんと跳ね上がらないように

私たちも固定電話を残している。

 

もう携帯電話だけに切り替えている人は

友人知人に何人かいる。

 

家族やパートナー・友人と

同居するということは

自分が使わないものも

同じ空間に受け入れるということ。

違う趣味趣向を容認すること。

 

そうすることで

逆に自分の好みもはっきり浮き出る。

もし一人ならこれは要らない

そういう感覚が研ぎ澄まされる。

 

暮らす部屋ではないけれど

手作業に集中するアトリエの理想の姿を

あちこちから拾い集めている。

 

まるで自分の欠片を

探すゲームのようで楽しい。

刻々と私たちは変化するから

永遠に終わらない遊び。

 

私が作る私の空間を

好きな物だけで構成する。

これは最高の人生ゲームだ。

 

 

televisione(テレヴィズィオーネ)=テレビ

telefono(テレフォノ)=電話

fisso(フィッソ)=固定した

 

 

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